地下鉄に乗ったときだけちんたら読みつないでいた宮部みゆきの「理由」を読了。
感想は、おしゃべりな女だなあ、ってだけ。すっげえいろんなことがものすごくたくさん書いてあるんだけど、たいして意味ないおしゃべりに過ぎないようなエピソードばかり。冒頭のシーンはかなりぞくぞくしたけどね、あとはどんどんだらだらしていく。犯人はわかるし、犯人探しじゃないとしたらつまりこれは人間の様々な「理由」を書いているってことなのかしら? でもそれにしちゃ簡単に思いつくようなサイドストーリーをこれでもかってくらいの分量で詰め込んで、つまりは努力賞とか敢闘賞みたいな話なの、直木賞って?
ドキュメンタリータッチ、とあるが、あくまでドキュメンタリータッチを目指した小説であって、そのドキュメンタリータッチに失敗した小説ですな。どこを読んでも小説だもん。ノンフィクションの切実さはどこにもない。何が違うのかね? ノンフィクションって、インタビューアーの手の届かない部分、見聞きする範囲を超えた部分を、どうにかして埋めようという作業をするわけ。それは小説家のように、どこでもドアみたいな想像力とは違う、つまりは神の目とは違う人間の目の限界を知った書き方にならざるを得ない。そこから得られる切迫感というか、現実感なのだ。なのに、宮部みゆきちゃんは、このドキュドラマで、ほとんど小説家のように細部を知っちゃっているわけよ。で、嘘っぱちとなる。うそだと知っているから小説なのに、これはうそじゃないよ、という姿勢で書きはじめたらそりゃウソでしょ。
結果、100枚くらいで書けるんじゃないの、この小説?って思いました。それだったら大した話になったかもなあ。
わたし、インタビューの恐さというかすごさというか、長年やってきましたんで知ってるつもりなんです。多くのインタビューイーは、私の想像の及ばない答えを持っています。たかがこんな話だから、適当にこんな話を聞けばだいたいこんな答えが返ってくるだろうと思ってインタビューをやっては大間違い。他人って、すごいもんですよ。自分でもそれがすごいことだとは知らないすごい話を持っているんだ。それをいかに聞き出すか、ともに気づくか探し出すかが、インタビューの醍醐味です。
そんで、この「理由」には、「インタビュー」で明かされるそんな啓示が、一つもないの。それがたんなる「おしゃべりな小説」っていう一番の「理由」だと思います。
宮部みゆきって、読んだことないけど、時代物の人情もののほうがいいのかもな、って、このおしゃべり具合を見てて思いました。
Posted by kitamaru at 2005年02月08日 15:05